『フェイク・マッスル』を読んだ

日野瑛太郎さんの『フェイク・マッスル』を読んだ。
読了日は2026年05月23日。
手に取ったきっかけ
積読チャンネルの動画で紹介されていて、現場先の筋トレガチ勢の人にもおすすめしたら、面白かったよと感想が返ってきたことも後押しして購入に踏み切った。
読んでないのにおすすめするってなんて無責任なんだろう。
作品のあらすじ
人気アイドルの大峰颯太が、短期間のトレーニングでボディービル大会の上位に入賞する。
しかし、その筋肉に対してSNSではドーピング疑惑が広がっていく。
新人記者の松村健太郎は、疑惑を追うために大峰が関わるパーソナルジムへ潜入する。
筋トレ、週刊誌取材、ドーピング、芸能、裏社会が絡みながら、「あの筋肉は本物なのか」という問いを追っていく小説だった。
感想
一番印象に残ったのは、筋トレ小説としての珍しさよりも、題材をミステリの仕掛けにちゃんと接続しているところだった。
筋肉、ドーピング、潜入取材という要素が単なる飾りではなく、疑い方そのものに関わってくる。
以下、物語の仕掛けや展開に少し触れています。核心のネタバレは避けますが、未読の人は注意してください。
疑いの深め方がうまい
本書では、主人公視点と、もうひとつの別視点が並行して進んでいく。
主人公視点では、アイドルに疑いを持って調査を進めていく。一方で、別視点では、読者の中にある疑いが確信に近づいていくような描写が置かれている。
例えば、主人公視点側はステロイドの使用を疑っていて、ステロイド使用に使われた注射器などを証拠として押さえられれば、と考えている。
別視点ではアイドルの家から注射器を見つける場面がある。
こういった視点の切り替えによって、読者の中では「ステロイドを使っているのではないか」という疑惑の確度が上がっていく。
ピアノの描写がかなり効いている
筋力トレーニングに興じている人であれば「マッスルメモリー」という言葉は一度は耳にしたことがあるはずだ。
マッスルメモリーというのは、一度鍛えた筋肉は、しばらくトレーニングをやめて落ちたとしても、再開後に比較的短期間で戻りやすい、という考え方だ。
主人公が潜入取材の一環として、ピアノの演奏を求められる場面が出てくる。
この主人公は幼少期にピアノを学んでいて、数十年経過した今、「無理だ」と半ば諦観した気持ちで取材のためにピアノの練習に励むのだが、マッスルメモリーよろしく期日までに演奏を仕上げている。
筋トレ経験者なら、このピアノ練習のくだりが何を示しているのかは、わりと早い段階で察しがつくと思う。
そして、アイドルに対する疑いについても変わってくるはずだ。
ミステリの仕掛けとテーマがちゃんと噛み合っていて、ここはかなり上手いと感じた。
主人公への違和感
この主人公、冒頭ではポンコツ記者として登場する。
文芸を希望していたが、週刊誌の記者として配属された現状に不満がありつつ日々を過ごし仕事も上手くいかない。
デスクからは、潜入取材に出しても支障が少ない人間として、松村の名前が挙がる。要は、部にいなくてもよい人間として見られていた。
潜入取材が上手くいけば希望部署へ転属できる、という条件のもと、松村は取材を引き受ける。
しかし、ポンコツ記者(しかも部に居なくてもよいと一度は検討された人間)とは思えないような行動力と仕事に対する姿勢が垣間見える。
成長物語として読むなら納得できる部分もある。ただ、最初に置かれた「使えない記者」という印象に対して、潜入後の松村はかなり粘り強く、観察力もある。もう少し失敗や空回りがあってもよかったのでは、とは思った。
ハラハラする場面があるぶん、そこで一度くらい大きく空回りしてもよかった気はする。
最後に
全体としては、念入りな取材からくるであろう各業界に関する丁寧な描写、扱うテーマの独自性から、かなり面白かった。
主人公の成長速度については引っかかる部分があるが、火事場の馬鹿力という言葉もあるし、そういうものなのだろう。
筋トレしたことない人でも、十分に楽しめる小説だったと思う。
松村記者の潜入取材シリーズが出るのであれば、また読みたい。
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